imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

筆ペンは筆なのかペンなのかについて3年考えた結果、筆記具だという結論に至った男に捧ぐ哀歌

(このブログはフィクションですわ♡私はピンクのサウスポーですわよ♡)

私は左利きだ。ゆえに世界が憎い。

万年筆だの、毛筆だの、そんなカッコいい筆記具を使えるこの世の右利きが憎い。

「お習字の時間」これは可及的速やかに排するべきだ。

皆が「それなり」の字を書いている中、一人だけミミズが張った文字を書かされ、教師から憐みの目を向けられ、しまいには「右で書いたらどう?」と言われる身になってみろ。余計なお世話だ。

日本語という奴はどこの能無しが作ったのかは知らんが、そろいもそろって、どの文字も右利きのために出来ていやがる。

更に筆という小枝に髪の毛つけたような得体のしれないものは、我々インテリジェントな左利きにとっては、野蛮すぎてとてもじゃないが扱えやしない。

文字は掠れ、形は歪み、それでも私は筆を執って必死で書くわけだ。

私は心が広い。まあこの世の大多数が右利きなわけで、それに合わせていろいろなシステムが組まれるのは致し方ない。許した。左利きなのが悪いんじゃなくて、私が悪いんだろう。うん、右左なんか関係ないさ。だからキチンと筆を使って習字に参加するし、その結果できた汚いゴミの塊をも受け入れている。

それを何が「右で書いたら?」だ。貴様は、満塁ホームランを打たれた右ピッチャーに「左で投げたらどう?もっとうまく投げれるかもよ」というのか。

練習もしてない手で何かできるわけがないだろうが。

「キミが字が下手なのはキミが悪いんじゃなくて、君の利き手がわるいんだよぉwwwだから手を変えてやって見なさいwwホラ」フォローになっていないフォローが辛い。左利きそのものへの侮辱だ。

ついでに「左利きはストレスがたまるから寿命が短いんだよwww」みたいな訳の分からない論文を出して来る哀れなネット民の諸君にも次ぐ。ちゃんと原論文を読みたまえよ(私は読みません)。

 

私は、数ある左利きの差別の中でやはりこの「習字」ひいては「筆」が嫌いだ。

筆という単語を見るたびに文章を書くのを止めて、「筆を折りたく」なる。

 おや、何故私は筆を持っているのだ?

ブログ更新が、こういう愚痴になってしまったのもやはりじめじめした湿気のおかげか。

久々にブログを書こうと「筆を執った」。うむ、文章を書くのは気持ちがいいなぁ。

まて、私は今何と言った? ブログを書こうと「筆を執って」いるではないか。

何故だ、あれほど嫌いな筆を私は持っているんだ。 信じられない。

私が「筆」という単語を安易に使うわけはない、きっとこれも何かの間違いさ。

今日のブログ更新はここまでで止めて、「筆をおく」ことにするか。