imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

阿呆は二度死ぬ

007は二度死ぬ」、この映画の原題は「You Only Live Twice」であり、原題と邦訳で意味が反転している。生を死に反転させることで原題の意味を残しつつ、より日本語らしい表現になっているのではないか。これこそ流石、翻訳の妙だと褒めておこう。

取りあえず「you  only live once」を「暗黒街の弾痕」と訳すよりマシな気がする。

  だがここで「二度死ぬ」とはどういう意味なのだろうか。ここに来て「一つ目が『身体の死』そして『人々から忘れられた時』人は本当に死ぬのだ」といった、聖人ぶった話はしたくはない。寒気がする。肉体の死を二次的に扱い、他者から忘れられるという「社会的な」死を「真」と捉えることが気に食わない。

 死してなお、他者の記憶という藁をもつかんで、この世に留まろうとするのは浅ましい。まさに亡霊だ。こうなったら、記憶の中にに生きる亡霊を成仏させる除霊師として口に糊して行きたいところである。

 私は決して厭世論者ではないし自殺願望なんて更々ない。死ぬのなんて真っ平御免だ。私という俗物は霞を食って生きる仙人共とは違い、他者の記憶の中に生きる亡霊としての生を「生」とは認めたくない。鼓動の停止は自己の停止、引いては世界そのものの停止だ。私が死んでも世界は動く、などといったことはありえない、と「私は」信じる。私が死んだ瞬間、この世は終わるのだ。

 世界の有象無象の予言者諸君、私は諸君の誰よりも正確な予言が出来る予言者、否、「預言者」だ。諸君になり替わり、私が正しい神の御言葉を読み上げてやろう。世界は残り100年ほどで滅ぶぞ。諸君の中には諸君の世界が残り数年の者も居るだろうがな。

 

 人は二度死ぬ、いや訂正しよう、「人は無限に死に続ける」。人はその身が朽ち果てるまで、他者の記憶の中で死に続けているのだ。

 他者の「中での」自己の死に無頓着で、主観からしか死をとらえられない阿呆は僅か2度しか死を感じることがない。いや、それとも無限の死を感じ続ける者こそが真の阿呆なのか。結論は死んでみなければわかるまい。

 阿呆は死ぬまで直らないのだから。