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imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

回文、分解 ①

 「たけやぶやけた」、端的に言って非常にヤバい。

 

 竹藪が焼けているというのはもう危険すぎる。「竹藪」とはなんなのか、そりゃ竹が生えた藪なんだろうが、いったい竹藪とはどんなものなんだろうか、まずイメージを掴みたい。

 「竹藪」で画像検索すると、京都嵐山で見るような竹藪小道の画像がどっさり出てくる。この規模が竹藪が燃えているのだとすると尋常じゃない火事だ。

 

 消防車が山ほどやってきて鎮火活動を行うも鎮火せず、延々と燃え広がる山火事。海外の山火事で航空機から放水を行う場面がしばしばみられるが、ああいうことになっているのだ、この竹藪は。もう回文とかどうでもいい、逃げるしかない。

 竹藪が焼けることの怖さが徐々に分かってきただろうか。

 

 「しんぶんし!たけやぶやけた!」みたいに回文を言い合っている餓鬼ども(馬鹿だからこの二つしか回文を知らない)は新聞紙とこの大規模山火事を一緒くたにして語っている、馬鹿としか言いようがない。文章を回す前に自分の頭がくるくるパーであることを分かって欲しい。

 

 更に話を進めよう。「たけやぶやけた」竹藪が焼けて「いる」のではなく、竹藪はもう焼け終わっ「た」のだ、なんということだろうか、もう竹藪は焼けつくされてしまったのだ。「たけやぶやけた」、この僅か七文字から、竹藪が焼け、大きな山火事となり、自身が住んでいた家、その思い出、家族、すべてを焼き尽くされ呆然と立ち尽くす心優しいおじいさんの姿がありありと浮かんでくる。

既にお分かりの方が大勢だと思うが、この「たけやぶやけた」おじいさんは、竹取の翁なのだ。

愛娘の様に育てたかぐや姫との出会いの場である竹藪、その竹藪が燃え尽くされてしまった時、この竹取の翁が呟いた言葉、それが「たけやぶやけた」だ。

かぐや姫は月に帰り、彼女の生家は竹藪と共に炭と化した。もう何も残っていない。おばあさんは燃える家の下敷きとなって亡くなった。

 

「たけやぶやけた」、そこには一切の感情が籠っていない。ただ竹藪が焼けたという事実を叙述したのみである。しかしその裏には耐え難い悲しみと、絶望、言葉では言い尽くしがたい竹藪への思いが詰まっている。

 あなたは「たけやぶやけた」、この回文を読んだり口にしたりするときにこの事に思いを至らせたことはあるだろうか。この事実を知ってしまった今、もう「たけやぶやけた」なんて軽々しく口に出すことは出来ないだろう。

 竹藪が焼けたその裏にある悲しき物語すら考えられない、そんな人たちはどうせ回文なんて「たけやぶたけた」と「しんぶんし」の2つくらいしか知らないのだろう、ひょっとすると「隣の客はよく柿食う客だ」を回文だと思っていた人もいるのかもしれない、竹藪と柿ってのが何か似てるし。

 残念だが、これであなたが知っている回文は「しんぶんし」たった一つになってしまった。女の子に「カッコいい回文教えてよ」と聞かれたときにあなたは恥を忍んで「しんぶんし」と言わないといけないのだ、もう格好良く回文を言って女の子をメロメロにする機会は一生訪れない。 

ん、可哀想に。嘘、違和感。