imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

CHAOS;CHILD 感想①「拓留にとっての正しさ」(共通1週目√感想)【ネタバレ】

CHAOS;CHILDカオスチャイルド以下カオチャ)をクリアした。  「このゲームはシュタインズゲート等の系列、科学アドベンチャーシリーズの4作目のアドベンチャーゲームで〜」という解説、非ネタバレ感想を抜きにして、各ルートの感想をネタバレを気にせず一つ一つ書いていくことにする。  

 ネタバレ抜きに一言だけ語るとすると、このゲームはtrueエンドの最後のシーンを見せるために全てのキャラとストーリーがあると断言できる、あまりにエンディングが綺麗すぎるゲームだった。他に多々ある「エンディングだけが猛烈に綺麗なゲーム」とは違って、そこに至る過程も丁寧に作られていたと思う。

   丁寧な描写の積み重ねの後に、最後に待ち構えるトゥルーエンドは、まさしく「真実の」エンドだと言える。決してグッドでもベストでもないが、この物語の締めにはこのエンディングが適任である。というか非常に悔しいが、このカオチャの物語の中には「これ以上のエンディング」が存在しえない。エンディングから逆算で描かれた物語だろうからそれを越えうる終わらせ方が存在しないのも妥当だが。  

 何より悔しいのが、二次創作や、なんなら公式によるものでもいいが、「このカオスチャイルドに対して何かを継ぎ足すこと」そのものが拒否されていることだ。カオスチャイルドの物語はtrueエンドによって完全に「終わってしまった」。物語自身が他者の介入を拒む。もちろん批判というかつじつまが合わない箇所はいくつかあるが、それを指摘したところでこのエンディングへの評価は何一つ変わらない。  いいゲームだった。

 

(以下ネタバレ)          

 

 

【overskyend(共通1週目エンド)】  

1週目は強制でこのルートになる所謂nomalend、このルートの時点ですでに結構満足度が高い。最後のシーン以外は、だが。

 「ニュージェネレーションの狂気の再来」という渋谷を舞台とした連続猟奇殺人事件を前に、最初は「傍観者」だった主人公拓留が、徐々に事件の「当事者」になっていく。 「情弱」と「情強」、「嘘」と「真実」、そして「正しさ」というこのゲームに通底するテーマはすでにこのルートの時点で本筋そのものな事がいい。

 このルートをプレイしたあとでtrueルートをどう調理するのかを予想しながらプレイしていたが、このルート(乃々の生死が違うためifルートに近いものがあるが)の後日談として物語を決着つけるんだろうとは予想していて、きちんとその通りになったのが良かった。決着のつけ方が予想を超えて良かったのでこのゲームの評価が高くなった。    

 与えられた情報をそのまま鵜呑みにする、自分で情報を探そうとしない、「真実を知らない」者を情弱として唾棄する最初の拓留は痛々しくて見ていられない。

 「正しいことを知っている」、「他人が知らない事を知っている」事こそが正義で、知らない者を上から目線でバカにする、しかしながら自分自身はその情報を元に行動する事がない、あまりに魅力のない主人公だと最初は感じた。彼が考えを変えていく事がゲームの軸になるだろうという事も分かる。がそれでも我慢できない程度に不快で、しばらくは拓留のボイスをオフにしてプレイしていた(overskyendクリア後にオンに戻した)

そういった彼の成長を描いたこのルートはまさに主人公拓留ルートという事ができるだろう。  

彼が猟奇殺人事件の真相を追う最初の目的は「情弱を見返す」ことであり、自らの手で情報を「真実」を探す過程が「回転DEAD」や「次のごっつあんデス」では語られる。 ごっつあんデスの時点でかなり拓留は傍観者の立場から当事者の立場に移ってきているが、本格的に彼が事件と向き合うのはその後の病院への潜入の後だ。 ディソードとギガロマニアクスの設定が揃っていよいよ物語が進むかと思われた後、いよいよ拓留本人に事件が襲いかかる。パイロキネシストによる襲撃だ。 ここでついに拓留本人は念願叶って「当事者」になる事ができる。しかしながら当然嬉しいわけではなく、死の恐怖に怯える羽目になる。

ゲーム中に出てきた「最初は事件を追っていただけのはずが徐々に事件に追い立てられるようになる」という表現がぴったりだろう。

 そして非実在青少女の事件でついに拓留周辺の人が犠牲になる。製作者の狙い通りだろうが、ここはプレイしていてきつかった。話の流れ的にそろそろ仲間内の誰かが死ぬだろうという気がしていたが、義妹の結衣が殺されて、さらには犯人まで身内だとは思わなかった。親友だと思ってた伊藤が実は犯人で、結衣が殺されましたってのが突然ぶっこまれる。しかも伊藤も黒幕に操られていたというオチ。やるせない。

 この後のパートで、真犯人を探すために拓留が部室でボードで思考を整理するシーンがあるが、このパートが序盤の時と対比されるのが皮肉だ。少し前までは、傍観者として「真実を知りたい」と思い事件を追っていた拓留が、ここではまさに事件の当事者として犯人を追うことになる。   そしてついにたどり着いた結論、犯人は幼馴染の世莉架だった。この受け入れがたい真実を確認しようと世莉架の家に向かう途中で、学校の屋上から異音が聴こえる。 そこに向かうと、全てが終わっていた。 一足先に真実に気づいた義姉である乃々が幼馴染の世莉架を屋上に呼び出していて、乃々はそのまま世莉架に殺された。ニュージェネレーションの狂気の犯人は幼馴染の世莉架だった。

 結果として新聞部の仲間は華と途中から入ってきた雛絵以外全滅、ギャルゲの親友ポジの伊藤は操られた人殺しで、そいつを操っていた黒幕は幼馴染、義姉は幼馴染に殺されて死亡。

   仲間内に事件の被害者犯人が集中する展開は精神的にくるものがあるが、逆に言えば欠点として「世界が狭すぎる」ということが言える。この後幼馴染とつるんでいたもう一人の黒幕が、義父である佐久間だという事が分かるが、割とそこらへんで食傷気味になった。「いい人に見えるのが実は犯人でした」みたいな展開は古今東西よくある定番ネタでかつ何回使っても新鮮味を失わない王道だが。

 ここまで仲間内のみで真相が明らかになってしまうのは、よく言えば知っている人ばかりどんでん返しの度合いがより高まる、が悪く言えば閉鎖的だ。 猟奇殺人の根本的な原因は結局主人公で、殺害の主犯は幼馴染の世莉架、被害者も最初の事件は拓留達とは無関係の人たちだが、後の方は全て拓留の知り合い、あまりの狭さに息が詰まりそうだ。叙述トリック的というか、「読者の予想を裏切る」という展開のためには当然身内に犯人がいるという設定は必須だが、ここまで全てが全て身内で完結してしまう必要はなかったのではないかとも思える。 だが、殺人事件の犯人である世莉架が実は主人公の妄想上の存在がギガロマニアクスの能力によって具現化したものであるというオチは秀逸で、そもそもの事件の大本が「拓留の願い」によって生み出されてしまったということを考えると、まあ全ての事件が身内によって集まっている設定も無理はないというか、「拓留のためにお膳立てされた事件」であるためにはここまで全てが身内で完結する必要があったとも言える。    

 

 このルートのラスボスである、主人公の義父にして300人委員会の末端研究員、世莉架と絡んで最悪の猟奇殺人事件を繰り返していた黒幕、佐久間との対決のシーンは優れていた。残念ながらディソード同士の対決はノベルゲーの宿命だろうか、表現の不足を覚える。 しかし佐久間の思考誘導で何も感じない空間(という妄想)に閉じ込められたところで、再び「イマジナリーフレンド」としての世莉架の存在を呼び出すことで発狂に耐え、逆に自らの妄想に佐久間を引き込むことで勝利するという展開は王道で熱い、少年漫画の展開そのものだ。OP曲を流す演出もベッタベタだが感動する。 ここで佐久間を倒して終わればそれなりのグッドエンドだっただろうが、そこで終わらないところが好きだ。

 拓留が世莉架を作り出した理由というのが、「拓留がやりたいことを生み出してそれを叶えさせる」ということだという最後のネタばらし。ギガロマニアクスの能力は、「本人の願い」というものが強く反映されるため、当初は拓留のテレキネシスがその能力によって生み出されたと思っていた。しかしそれはミスリードで、イマジナリーフレンドである世莉架を生み出したのが拓留の最初の能力発現の願いで、さらにはその願いが元で大量殺人を起こしていたという事実は重い。

 世莉架の殺人の理由は、拓留にこの事件を解決させ、拓留を「英雄」にするというマッチポンプだったというのが「ニュージェネレーションの狂気の再来」の真実だったのだ。  

 このみたくもない「真実」を前にして拓留は全ての責任を負うことを決意、自らのギガロマニアクスの能力で世莉架を能力のない普通の女の子にして、世莉架の罪を自ら背負うというのがこのルートのラストだが、まさにこの展開こそが「真実」と「嘘」という対立軸を超える、主人公の成長のシーンだろう。  

 常に当事者でありたいと願い、「真実」を知ろうとしてきた拓留は序盤では本当に混じりけのない真実を知りたい、それこそが正しいことなのだという意識を持っていた。この態度はヒロインの一人である有村雛絵と非常に似ている。

 拓留の「真実=正しさ」という態度が最も鮮明に示されるのが、回想で流れる小学校時代の渋谷地震の箇所だろう。情報弱者だとバカにしていたクラスメイト達が怪我人を助ける姿に、「代々木の病院に行けば助かる」という情報を知り代々木に向かっていた(それこそが正しいと思い込んでいた)拓留は動揺する。自分の方が情報を持っており、怪我人など見捨てて病院に逃げるのが正しいと思うにもかかわらず、情報を持たないクラスメイトの怪我人の救護という行動が「正しく」見えたからだ。  

 しかしこのラストシーンでは全く逆の行動をとる。結局拓留が知りたかったこの事件の「真実」は「自分の願いが身内を含む大量殺人を引き起こした」という最も見たくない最悪の展開であり、そこには「正しさ」なんてものはどこにもない。  

 また「事件の真犯人である世莉架を庇い、自らが大量殺人鬼として自首する」というのも全くもって真実ではない、真っ赤な嘘だ。  

 このカオチャというゲームの最も好みが分かれる箇所はこのシーンにあると思う。世莉架の殺人を拓留が庇うという行動に対して果たしてどれだけ共感できるか。 自らの能力で生み出したとはいえ実際に殺人を起こしたのは世莉架であり、その罪を庇うという行為は全く正しくない、言ってしまえば彼の自己満足だ。そんなことをしたところで、死んだ義妹や義姉にとっては何の価値もない。真実を隠蔽しようとする、拓留のこれまでの行動原理からすると全くもって理解されえないこの行動を「正しい」と判断するというのがこのゲームの「拓留の成長」だろう。  

 拓留という主人公を、他人を情弱だと見下し、自らだけは当事者として常に「正しい」と思う真実を追い求めるキャラクターに設定したのも結局はこの嘘と真実の不確定さを乗り越え、自分だけの真実を追うという成長を描くためだったと言える。非常に痛々しい主人公だが、納得のいくキャラクター像になっている。 ここで終わってくれれば共通ルートだけでも評価が高いゲームと言えるが・・・・・・。  

 

 この共通ルートであまり納得がいかないのはこの後、エンディング後のシーンだ。自首した拓留が世莉架の声に導かれ、警備員を殺して病院を逃走するというところでゲームが終わるが、これだと結局拓留の成長というこのルートで最後まで描いてきた話が無駄だ。拓留は結局世莉架を普通の女の子に戻すことはできず(もしくは戻したとしても再びイマジナリーフレンドとして召喚し)、人殺しをして逃げる。

 成長したと見せかけてできていませんでしたというエンドにはあまり納得がいかない。Trueではこの事件が起きず、「世莉架が普通の女の子に戻れた」という状況から物語が進むようになっているから良かったが、このルートをプレイした時には正直かなり失望した。  

 正直最後のシーンがなかったところでこのルートの大筋の話には何ら影響を及ぼさないし、「とりあえずBAD感だしとけ」という感じで追加されたように邪推してしまう。このシーンが存在する理由を説明できる人がいたら是非教えて欲しい。  

 

 次は4人の個別ルートについての感想、そして最後trueの感想の記事を書きます。