imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

最高に性格悪くて面白いゲーム Bloodborne レビュー  

はじめに

 

 

先日、「Bloodborne」をクリアした。Bloodborneは2015年にフロムソフトウェアから発売されたPS4用ゲームであり、同社開発のデモンズソウルやダークソウルという所謂「ソウルシリーズ」の系譜を踏むゲームである。

私は約4ヶ月前(2016年5月)に発売されたダークソウル3で初めてソウルシリーズをプレイし、遡る形で今回Bloodborneをプレイした。

「高難度ゲーム」のソウルシリーズの系譜を踏んでいる以上当然なのだが、このゲームの難易度は非常に高く、ボスも道中も本気でプレイヤーを殺しにかかってくる。 Bloodborneとソウルシリーズの違いとしてまず舞台設定の違いがあるだろう。ソウルシリーズは剣と魔法の中世ヨーロッパを舞台としたダークファンタジーなのに対し、Bloodborneは時代を進め近代に近い19世紀のイギリスを下地においたゴシックホラーの形式をとっている。そのため遠距離武器は弓矢から銃器に変わり(DLC武器に弓?はあるが)、近距離武器も変形ギミックを持ったより近代的な(といっても無骨に敵を叩き潰すハンマーに変形できる剣とかなのだが)武器になっている。 またソウルシリーズと操作のキー割り当ては同様にしつつもゲームスピードを上げることで、ソウルシリーズとは違う高速でスタイリッシュなバトルを実現している。

その理由は「盾の撤廃と引き換えに得た高性能な回避」と「リゲインシステム」にある。  ソウルシリーズでは敵の攻撃への対応に二つの方法があった。一つは盾受け、もう一つがローリング回避だ。どちらもスタミナを消費して敵の行動に対応するものだが、盾受けには「盾受けを崩すor防ぎきれない高火力の攻撃」、ローリング回避には「回避では防ぎきれない範囲攻撃と回避を狩るための敵のいやらしい連続攻撃」という二つの弱点があり、敵の攻撃をどういなしていくのかを場面ごと、敵の行動ごとに判断していくところにアクションとしての面白さがあった。  

 BloodBorneでは盾を廃止し(弱い盾がいくつかあるものの例外)すべての攻撃を回避で避けるというゲーム設定になっている。ここまでだとゲーム性を単純にしただけに思われるがそうではなく、回避の性能を大幅に上昇させ、大きく距離をとるローリング回避と小さく回避するステップ回避の二つを実装、またソウルシリーズの伝統である回避の重量感、もっさり感を取り払い俊敏な回避が出来るようにすることで敵の攻撃をいかに避けるかというゲーム性になっている。  

また戦闘システム面に華を添えるのがもう一つの重要なシステムである「リゲインシステム」だ。敵の攻撃を食らってしまってから実際に体力ゲージが減少するまでにタイムラグがあり、その間に敵に攻撃を加えることで失った体力を一部取り戻す(リゲインする)ことが出来る。もちろん回復アイテムによる回復も可能なため、敵から被弾した際には「回避を駆使してリスクを負って攻め続けることでリゲインにより体力を回復するのか」、「安全に回復アイテムを使うのか」の選択が迫られる。  

この二つのシステムにより盾を構えて適宜攻撃防御をするソウルシリーズとは違う、攻める、回避、また攻める、被弾しても攻めるという「攻め」のゲーム性を実現している。  ソウルシリーズとは異なる二つのシステムにより、「リスクリターンの管理がうまい。気持ち良い」ゲームになっているといえるだろう。

ソウルシリーズの盾受けはある意味で丸い、リスクが少なく、リターンもそれなりにある選択肢だ。その安定した盾という選択肢をなくすことで、引くことがむしろリスク、攻めろ攻めろのゲーム(もちろん攻めすぎてゴリ押ししようとするとすぐに死ぬので回避する)という戦闘の設計になっていると感じた。  重要なシステム面での違いはこれくらいにして、私はダークソウル3よりもBloodborneの方が気にいている。それはこのBloodborneの世界観の妙、設定の素晴らしさに支えられている面が多分にある。以下ではこのBloodborneがいかに素晴らしいゲームだったかを語るが、ネタバレが含まれている。

 

「性格の悪いゲーム」  

 

フロムソフトウェアはソウルシリーズ全体(Bloodborneも含めて)、とんでもなく性格の悪いゲームを作るという印象がある。特にダクソ3においてプレイヤーが最初のステージで出会うゲーム始めて最初の宝箱がミミックなのが印象的だ。宝箱だと嬉々として近づき何の疑いもなく開けた瞬間にミミックで、しかも足があって蹴り殺される、あまりに理不尽だろう。ゲームにおいて最初の宝箱をミミックにするのはプレイヤーを舐めてるとしか思えない。こんなに馬鹿にされたゲームは初めてだ。

Bloodborneはそれとは違う、ホラーチックな性格の悪さ、後味の悪いイベントや薄気味悪いダンジョンという意味で性格が悪い。序盤はわずかにいた会話できる人間が、獣の病に罹患し次々と狂っていく様、人に化けた獣を教会へと連れて行くと次々と生き残りの人間を殺すイベント、上位者を身ごもるアリアンナ、安全な場所として人々を避難させる病院が実は実験場で生き残りは全て実験体にされるヨセフカの診療所、登場する全てが狂っている。とにかくこのゲームにまともな人間はいない(わずかにいるまともな人間は途中で死ぬか狂うか殺される)。  

 

獣へと姿を変えたガスコイン神父は序盤の壁となるボスだ。狩人である主人公と同じ防具を身にまとい、同じ武器、同じ銃で相見える。ボスと戦う前にガスコイン神父の娘(少女)との会話イベントがあり(任意)、そこで神父思い出の品であるオルゴールが娘より渡される。戦闘中にオルゴールを鳴らすと獣と化した神父が一瞬戸惑い、頭を押さえて苦しむ演出が入る。獣性に身を飲まれながらもわずかに残った人間性が娘を思い出させるのだろうか。まあよくありがちなイベントで、このオルゴールで出来た隙をついて戦ってくれという、珍しく性格の良いフロムからのプレゼントだ。  

ガスコイン神父を倒すと側には妻(オルゴールをくれた少女にとっては母親)の亡骸とペンダントが落ちており、このペンダントを少女に返すかどうかの選択が選べる。ここからが性格最悪、ねじ曲がりフロムの最低ゴミイベントだ。 娘にペンダントを渡すと、泣き出しその後どこかに消えてしまう。その後少女の家から近くにある下水道の雑魚を倒すと少女の物であろうリボンが手に入ってイベントはおしまい、少女は死んじゃったね残念だなぁ。

ペンダントを渡さない選択肢も選べ、ペンダントを見つけることができなかったと嘘をつき、他の生き残りと同様に教会かヨセフカの診療所に送ることができる。

教会に送ると、残念でした、少女は教会にたどり着くことはできず下水道の雑魚に食われて死んでます、ちゃんちゃん。

じゃあ診療所に送ると、診療所は実験場でした、少女は実験体として使われ異形の姿となりヨセフカの診療所で生きています、よかったね。倒すとリボンがもらえるよ。

ひどすぎる、序盤の心温まるイベントをなんだと思ってるんだ。

さらに追い討ちをかけるかのようにその後にイベントがあり、物語の終盤で、少女がいなくなった後の家になぜか明かりがついている。話を聞くと少女の姉らしく、少女がどこにいるか知っているかを聞かれる。  まずここでおかしい、死んだ少女のセリフには姉の話が一言も出ない。しかも物語の終盤では人は皆狂い、まともに会話できる人間がほとんどいない。誰、お前。姉を名乗る者に少女のリボンを渡すと、「これであの子のために祈ることができます」と一見普通そうな反応をするが、少し離れたところから聞くと、「きれいなリボン、やっと私の物ね……」と高笑いするセリフが挿入される。

極め付けに暫く経ってから少女の家を尋ねると姉もおらず、近くを見ると家の前の高台から姉が飛び降り自殺をして死んでいる。少女の姉の正体も不明、一家全員死亡でイベント終了、お疲れ様でした。クソイベントの極み、ふざけすぎだろう。  

 

このゲームは肌に絡みつくような不安感の煽り方、とにかく胸糞悪いイベントの数々、ボスキャラ含めた敵の造形の気持ち悪さ、やはり格好いいゴシックの世界観、全てが合わさって最高のゲームになっている、雰囲気ゲー好きには堪らない。

 

「物語の根幹をなす設定の妙」  

 

このゲームの雰囲気をよくしているのは珠玉の「心温まるエピソード」だけではない。そもそもの舞台設定に唸らされる。 ゲームの舞台となるのは辺境にある忘れ去られた街ヤーナム、ここでは血の医療を名乗る怪しげな医療術が発達し、輸血によって不治の病ですら治せるとの触れ込みで、遠くから治療を求めてやってくる人も多い。しかしながらその副作用か風土病「獣の病」が流行っている。獣の病に罹患した人は人を失い、獣性に身を任せる凶暴な存在となる。ヤーナムの街では伝統的にこの獣の病に罹った人間を殺す「狩人」がいる。病人としてこの街を訪れた主人公は獣の病がはびこるヤーナムで、成り行き上「狩人」として人ならざる者を狩り、自己の目的である「青ざめた血」を追い求めていく、というのが大きなストーリーだ。

 血の医療、輸血による病の完治はヨーロッパで流行したあの悪名高い「瀉血」を思い出させる「ありえなくはない」設定になっている。そこを切り口として「獣の病」というファンタジーの設定へと持っていくのがまず巧い。  「ヤーナム」という名前がすでにアーカムを思い出させて意味ありげなように、このゲームは多分にクトゥルフ神話をモチーフとしている。ミスカトニック大学に似た、異端研究の学舎、ビルゲンワースもそうだ。序盤は獣を狩るだけだった主人公も、終盤にはいつのまにか「上位者」を狩るようになっている。ゲームはいつの間にかコズミックホラーになっていく。  

このゲームのステータスのひとつとして、「啓蒙」というステータスがある。このステータスはボスとの邂逅、新エリアへの到達、その他アイテムの使用で溜まっていくが、このステータスが高くなると「今まで見えてなかったものが見える」ようになる。例えばゲーム序盤で啓蒙が0から1になると拠点となる狩人の夢で人形が動き出し、レベル上げができるようになる。啓蒙を消費してアイテムを買うこともできたりする。

しかし啓蒙は高ければ良いというものではなく、啓蒙が高くなり見えないものが見えるようになると、それと同時に「見たくないもの」も見えるようになる。一定以上の啓蒙をトリガーとして出現する敵や、啓蒙が高くなると安全地帯だった教会の外壁に巨大な上位者が張り付いている姿が見えるようになったりする。教会の近くでは序盤から何故か見えない敵に握りつぶされて死ぬゾーンがあるのだが、実は序盤からこの見えない巨大な上位者がいたわけだ。敵が襲ってこない安全地帯だった教会も全然安全じゃありませんでした〜、ってのが見えてしまう。また啓蒙が高くなると発狂しやすくなる(発狂はゲージがたまると発動し大ダメージを受ける)。

これをクトゥルフ的と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、「クトゥルフの呼び声的」とは言えるだろう。つまり啓蒙はSAN値だ。

 異端の学舎、ビルゲンワースはこの啓蒙を高めることで人を捨て上位者に成る道を探ろうとしている集団だ。 このゲームの前提として全ての人間は皆獣性を持っている。人ならざる人となった獣たちもみな元を正せば人であり、狩人自身もまた獣性に飲まれ獣となる可能性を秘めているのだ。その例が序盤のボス、ガスコイン神父だ。彼は獣を狩る中で自らが獣となり、主人公の前に立ちはだかる壁となる。獣となった人の真実に気づき、獣を狩るのをやめた「愚かな」狩人デュラや、人のふりをする獣のセリフによって、人が皆獣であるという真実に徐々に主人公は近づいていく。ならば啓蒙を高め獣から遠い存在、上位者になるという道はあるのか。この上位者もまた人ならざる存在だ。

このゲーム、ベストエンドでは啓蒙を高め全ての真実を知り上位者を狩り、獣狩りの夜を完遂した主人公が、残念なのか幸福なのか知らないが自らが上位者になってしまうというエンディングで終わる。人ではないナメクジのような姿になった主人公が、ベストエンドです、はいどうぞと言われても困る。この救いのなさが最高にたまらない。  

異端の学舎、ビルゲンワースとのつながりが深く、獣の病を治すことを大義とした医療教会も、結局はその聖職者たちが獣になることで瓦解していく。聖職者は最もその人間の獣性を否定し、押し込めた存在だから最も恐ろしい獣になり主人公の前に立ちふさがる。医療教会直属の、最初の狩人ルドゥィークも醜い獣と化し、DLCのボスキャラとなる。行くも地獄帰るも地獄、どうなっても人は人であることができない。 医療教会も、病にかかった人を治療するという大義から良い組織に見えるが、残念ながらこのゲームにそんな組織があるわけがない。

医療教会はビルゲンワースとつながり、人ならざる上位者との交信、上位者に成る道を探るための手段として人々を「治療」していたにすぎない。医療教会の実験場では頭が巨大なうごめく「何か」になった大量の実験体が跋扈している。 全ての人間、全ての組織に救いがなく、人は狂うか異形の「上位者」になるか、さあどちらを選びますか、血飛沫のなかで異形を狩る中で主人公はどんどん人と人じゃない境目を失っていく。

 物語の終盤、主人公は獣の病を生む原因を止めるために「夢」の世界へと移動する。この終盤の舞台が夢なのが良い。現実と夢の境界線もどんどん狂っていく。  最初に明確に提示されたはずの獣を倒すという狩人の目標が、啓蒙を高め「見たくないもの」を直視していく中で徐々に狂っていく。何のために戦っているのか、何が終わりなのか、人なのか人でないのか。

このゲームは設定の狂い方が巧い。いつの間にか、本当にいつの間にかゴシックホラーがコズミックホラーに移行していく。クトゥルフを下敷きにしながらも、クトゥルフをむしろ自分たちのこの世界観に取り込んでいる。全ての境目を曖昧にしながらも、この作品はゲームだから「ステージを進めてボスを倒せば」ゲームが終わる。エンディングもいい。 全ての真実を知ることなく「夢から目覚める」ノーマルエンド。真実のかけらを知りつつも啓蒙が足りず、結局は夢に閉じ込められるエンド、啓蒙を高め、獣を、上位者を狩り尽くすことで自らもまた上位者となるベストエンド、どれも好きだ。

 

まとめ

 

最高の世界観に、クソムズアクションと、性格の悪いイベントをぶち込んで味付けした最高のゲーム。ダークソウル3よりも世界観のうまさでこっちに軍配があがる。PS4のゲームの中でもかなり面白い。 世界観とか雰囲気ゲー好きにはぜひお勧め(ネタバレレビューでお勧めするのは意味不明だが)。