imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

俺は100ワニのことが好きだったのかもしれない【映画:100日間生きたワニ】

「100日間生きたワニ」の映画を見てきた。

そもそも原作である「100日後に死ぬワニ」自体が

最終日のグッズ展開云々や映画公開後におもちゃにされてる云々など、

作品外でのケチの付け方が嫌な感じになってしまった。

我々読者に「死」という明確なゴールを突きつけながら、ワニたちの平坦な日常が続いていくストーリー展開は素晴らしいものだったと思う。

 

100wani-movie.com

今回映画化されるということで、あまりの盤外でのケチのつき方に逆張り精神が刺激され、この目で見たいと思い足を運んだ。

 

結果100ワニの映画化として優れた、いい映画だったと思う。

 

ワニの喪失、そこから残された仲間たちの物語 

100ワニの映画は、原作をなぞって展開される「前半」とワニの死後を描く「後半」の二つのパートに分かれる。

 

前半は原作を再構成したパートで、「ワニの死」の前座としてワニと仲間たちとの交流が描かれる。

 

後半はオリジナルのパートで、ワニの死の後の残された仲間たちの姿とそこから歩き出す、というのを割と丁寧な描写で描いている。

 

ワニが死ぬお花見のパートを起点として、そこから100日前から物語を開始し、

お花見の日まで戻った後、その100日後を描く、という構成がよかったと思う。

 

「原作を知ってる」人しかいないという中でワニの死因含めたオチが全て割れている以上、ワニの死を映画のゴールに持ってくることが許されず、映画としての着地点は実質ワニの死からの立ち直りというプロット以外に存在し得ないだろう。

 

となるとこの映画の評価は「ワニの死からの立ち直り」をいかに描けるかというそのってんで別れると思うが、この点に関して「100ワニ」はうまくまとめ上げていると思う。

 

「カエル」というオリジナルキャラの存在について好悪が分かれる部分は想像に難くないが、とはいえ必要なキャラであったことは間違いない。これについても最後に語る。

 

ワニの「死」に対する描写をすべて回避したことによる「空白」の面白さ 

100ワニではワニが死ぬ。最後の花見でひよこを助けてワニが死んだということに対して異論を挟む人間はいないだろう。

映画100ワニにおいて、明示的に「ワニが死んだ」という事を発するキャラは一人もいない。それどころか、ワニの死に対して言及する、という展開が一つもない。

「ワニが死んだ」ことに対する悲しみの描写や、その他通り一遍のよくある描写をすべて排したことで、後半においてもワニが生きていた前半のような淡々とすぎる日常がそのまま続いて描かれているというのが、100ワニの後日譚としての語り方として完璧だった。

 

もちろん誰もワニを忘れているということはなく、お花見以降動かないラインであったり、先輩ワニが緒に行くことを約束してた映画の続編を見に行く中で空白の座席で思い出す、であったり、ネズミがあの日以降バイクに乗ってないという描写であったり、極めて細かく抑制が効きつつもそれでいて現実的な「ワニの喪失」の描き方をしていて

4コマ漫画である原作に通底していたあの淡々としたなんでもない日常をただひたすらに尊重して後半のシーンを描き切るという手法が素晴らしい。

 

物語全体を 「100日前」 「お花見 100日後としたことで、

ワニの死の直後にあったであろう彼らの動揺であったり「葬式」のような生々しい描写を回避したのも意図的だろう。

彼らの中でもちろんあの日を思い出さないことはないだろうが、それでいて「日常」を取り戻しつつあるという100日後という時期にスポットを当てて後日譚にするという発想は、作品に規定されたされたプロットを描こうとする中の自由度の使い方として極めて優れている。

 

カエル、というオリジナルキャラについて

ワニを喪失した彼らの関係性の中に割って入ってくるのがカエルというオリジナルキャラだが、これに賛否が分かれるのは解る。端的に言えば距離感を間違えた鬱陶しいキャだ。

ワニの死というところを消化し切れてない彼らに対してさも友人であるかのように接してくカエルを、カフェのヘビを含めた残され動物たちが「社会人として最低限守るべき線」を引いた上で疎ましくそして粗雑に扱う描写がかなり生々しく、ここが好みの別れるポイントだろう。

 

とはいえ、カエルは必要なキャラだ。残された動物たちの仲をとりもち、元どおりとはいかないものの次なる日常を歩み始めるキッカケとして必要なイベント、それがカエルだろう。

 

 

とはいえ、カエル君自身が描かれはしないものの大切な人を亡くしていて、

それをきっかけにネズミと和解し、かつてネズミが失恋した(と思い込んでいた)ワニを連れて行った山頂に一緒に向かうシーンが個人的には気になった。

物語的に必要なシーンであることは理解するものの、ストーリー展開的にともすれば「ワニの代用品」みたいに見えてしまうカエルに対するフォローがもう少し必要だったのかなぁという気もする。カエルも悩みを抱えていたんだなぁ、というのはここまでの丁寧な描写と比較して雑に感じたの否めない。

尺がもう少しあればここらへんを丁寧に描けたのかもしれないが、無駄に生々しい描写を長くされるのもきついのでこれは好みの問題で終わらせてもいい気がする。

 

 

100ワニの後日譚として不満もなくいい作品だった

100ワニという化け物コンテンツのその後を描く、という映画化の中で

あるべきストーリー展開を行い、その上で原作の要素をうまく拾いつつその世界を拡張、最後残された動物たちのの歩き出しを描いて終わり、という極めてまともな作品だった。

 

あといきものがかりのエンディングテーマもいい曲だった。

 

俺は100ワニのことが好きだったのかもしれない

今回、映画を見た後、このブログを描く前に改めて100ワニを読み返したが、面白かったということを思い出した。「死ぬ」ということに全く無自覚なワニとその死を知っている読者の中での緊張感は、あのTwitterで日々リアルタイムで更新されるワニを見る中でしか感じられなかっただろうし、100ワニの作品の独自性だろう。

 

正直、批判されすぎてる曰く付きの映画、という前情報全くなしにこの映画を見たかと言われたら私自身嘘になるし、完結直後の商業展開が好きかと言われたらかなり嫌いで、直近の裁判の話も馬鹿にして眺めてなかったかと言われたら嘘になる。

 

でも今回改めて100ワニを見て、

そういう盤外のノイズを取っ払って100ワニを楽しんでいた一年以上前のあの頃を思い出した。なんで忘れてしまってたんだろう。

 

コンテンツを全てのコンテキストから独立して評価する、なんてことは不可能だし、世間一般のいう内容に一切流されないというのも無理だろう、とはいえ面白いコンテンツというものに対して誠実に向き合わないとダメだよな、という反省。