imterlawの日記

郊外にぽつんと立った豪華な屋敷

感想:EDH/書評:メディア論の名著30

EDH

mtg.bigmagic.net

MTG(マジックザギャザリング)の4人対戦特殊フォーマットのEDHにハマってる。

コロナの中でむしろ紙のカードゲームにハマる逆張り人間になってしまった。

仲間内で毎週リモートEDH卓を立てて対戦して半年以上経ったが、全然飽きない。

元々のMTGのルールの面白さに加え

 

・4人対戦になったことで不確実要素が増えて毎試合試合展開が異なることの面白さ

・「ジェネラル」という軸となるカードを変えてデッキを組み直す面白さ

・対面のジェネラルが変わると試合展開がガラリと変わる面白さ

・ハイパワーカードを叩きつける面白さ

 

 

などなど、よく言われているEDHの面白さは一通り体験して、どれも真実だと思う。

全く飽きないし、結構な額かけてデッキ揃えてるけどまだカード買いたく/ゲームやりたくなってくる中毒性がある。

 

4人対戦のパーティーゲーの要素がカラリとした明るいゲームっぽさを纏いつつ

対面を縛る強烈なロックや、通すと即死するコンボを構えながらじりじりと進むターン展開、対面3人の妨害を乗り越えながら勝利を持ってくるための試合運びなど、ゲームの巧拙が出るマジの技術介入要素があり、デッキパワー揃えてやると毎試合スリリングでめちゃくちゃ面白い。

よく言われてるが、身内意外でやった時にデッキパワーが歪になってしまうと試合そのものが壊れかねないのが悩み。これはどのパーティゲームでもそうだろう。初心者が混じったカタンは悲惨だ。

 

身内でやってるから楽しいのか、そもそもこのゲームが楽しいのかもよくわからないが、とはいえカードを毎週遊べる仲間さえいれば無茶苦茶おもしろいゲームだなぁと思う。

 

メディア論の名著30

www.chikumashobo.co.jp

 

メディア論に一ミリくらいしか興味がない人間が読んでも面白いという、謎の稀有なメディア論紹介本。最近読んだ本で一番面白かった。

 

メディア論研究者の作者がお勧めする、メディア論の名著を時代的背景とともに30個紹介する、という構成。

もちろん現役のメディア論研究者の作者が紹介する本なのだから、マクルーハンハーバーマスなどの有名研究者の本も多い(メディア論に興味のない俺でも知ってるのがこのライン)が、「この本は読みづらい」であったり、「文学っぽすぎる」、「好きか嫌いかで言ったら嫌いな本」というようなかなり鮮烈な批判を述べつつ名著だとして紹介するその態度がかなり面白い。

 

作者自身がどのタイミングで紹介する本に触れたか、という自伝的な紹介から本の紹介に移るが、「読んでないタイミングで留学生から感想求められて急いで読んだ」とか「日本語訳するときの翻訳者と研究者としての交流が深かった」とか「大学時代のゼミで読んだ」、「この本を書くために読んだ」とか多種多様な研究エピソードとともに語られるのが面白く、この作者自身が研究者として歩んできた営みみたいなものを追体験する体裁にもなってるのがよくできてる。

 

人文学研究者ならではの振る舞いというのか、メタ/シニカルな目線で紹介する本を読み、さらにはその名著を紹介する自身の本すらもその対象にしているのが、読んでいて一番面白いところだと思う。

 

エンウェンスペルガーの「意識産業」という本の紹介の中で、読まれもしない旅行ガイド、ポケット教養書に代表される「消費財としての教養」についての言及を行うが、エンウェンスペルガー自身も「意識産業」が「消費財になる」ことに自覚的であっただろうと推察するとともに、自身が書いている「メディア論の名著30」もまたその一つだという自己言及するところが面白い。

大衆にばら撒かれ、読まれないままに打ち捨てられるようなポケット学術書(=新書)であったとしても、少数の真に読んでくれる人の手元に届くという功利があるなら別によくねという立場を踏襲し、それでいいじゃんと言い除けてしまう開き直りが好き。

 

「ウェルズの宇宙戦争のラジオドラマを信じた人々がパニックになった」というメディアについてよく例示される話は有名だが、この話が実は昨今検証されてデマの可能性が高いということがこの本を読んで一番衝撃だった。

このエピソードをデマを広めた書籍(キャントリル『火星からの侵入』)を名著に入れた上で、著者自身がこの寓話を信じており、自身の書籍で言及していたことに対して自己批判しながら語るというのもいかにもメディア論研究者っぽいひねくれ方だった。

フェイクニュース」に対する人々への反応を語る論文が、それすらフェイクだったという構造がめちゃくちゃ面白い。

 

心底どうでもいいことだが私はメディア論の本では、「グーテンベルグの銀河系」というワードセンスだけでマクルーハンが好き。

 

 

 

日記:日本語の文法/銀河ヒッチハイクガイド/冷凍パスタ

今、俺の中で日記ブームが熱い。

ツイッターに書くものでもないけど、一つの記事にするには要素足りなすぎるみたいなのが結構溜まってて、こういうのをまとめて残したい。

普通のブログだとオチのない文章を描くのに罪悪感を覚えてしまうので、日記の形式を取ってみたい。

 

日本語の文法

 

NHK教育テレビの手話講座を見てた。

ちょうど仮定法の紹介で、もし〜〜ならばに該当する手話を説明してて、手元で真似しながら眺めてたが、その時に「日本語における仮定法」についてこれまで生きている中で一度も考えたことがないということに気づいた。

もし明日が雨ならば、を仮定法だと思ってこれまで発話したことがあっただろうか。

 

とはいえ「もし〜ならば」が仮定法に該当するということは当然で、

これまで英語や第二外国語(フランス語だった)を学ぶ中でも仮定法を何も気にせず学んで使ってたが、逆に「もし〜ならば」を日本語表現における仮定法、「if were to」に該当する表現だと自覚的に用いたことがない。

フランス語を学ぶ際に「仮定法」の項目が出てきたときも、日本語における「仮定法」ではなく、英語における「if were to」に該当する表現だと自覚して覚えた方な記憶がある。

 

これは母語を文法的に学ぶことがないという、ただそれでけ当たり前の話だろう。

同じことが鏡写しで発生しているはずで、おそらく英米人は「if were to 」に対して自覚的に「仮定法」だと思いながら使ってはいないはずだ。

 

自国語を別の形で、かつ文法に意識しながら使う、「手話」になって初めて自国語の文法に対して使う際に初めて意識的に日本語の「仮定法」を利用する、というのがすごく印象深かった。

 

語学学校の日本語講師、とか、言語学者とか「言語」を客観視する立場じゃないと

なかなか気づけない気もするがどうなんだろう。

 

銀河ヒッチハイクガイド

 

www.amazon.co.jp

 

読んだ。SFについての知見を深めたいという意図でいくつかの本を買った一つだが、なかなか面白かった。別にSFに全く詳しいわけじゃないが、これが王道のSFではないことはわかる。もちろん世界観はSFなんだが、SFを下敷きにしたブラックジョークのシニカルなコメディをやりたい、という作者の意図が伝わってくる作品。もともとはラジオドラマでそれを小説に再構成したっぽい。

 

いちいち表現が人を舐め腐ってると言えばいいのか、

宇宙で2番目のスパコン(一番目はまだ見ぬ未来のスパコンだから)に世界の心理を尋ね,、七万五千世代後に計算が終わり、ついに出てきた答えが「42」でみんながっかりし、もう一度今度はその解釈性を問おうとする、みたいなブラック不条理コメディの色が強い。

 

とはいえこのような妙ちきりんなSF要素がストーリー展開とうまいこと合うようになってる、という構成は素直に上手くて好き。

似てるものを探したけど、スペースダンディくらいしか思いつかなかった。

コメディSFという点でスペースダンディに近い気がするけど、不条理コメディではないよね。

 

続編が出てるらしいが、続編までは読まなくていいかな。

不条理コメディはタネが割れると陳腐化しそうで、面白い印象まま俺の記憶の中にいて欲しい。

 

冷凍パスタ

冷凍パスタがうまい。麺類の中でパスタが一番好きなんだが、近所にパスタ屋がなくてなかなか食えない。自分で作ってもいいんだが、店のパスタの方がうまいから店で食べたい。

3日に一度くらい食べたいのに、という欲求を満たすため、スーパーを探してたときに冷凍パスタを気まぐれで買った。

 

実は冷凍食品を舐めてて、十分美味しいのは知ってるけど普通に店に行ったほうが大体いいだろうと思ってた。

これが誤りで冷凍パスタで思ったよりパスタ欲が満たせる。

 

明太パスタが好きなんだが、ママーのこのパスタで十分満足できた。サイゼのパスタよりうまい。

今俺の家の冷凍庫にはnoshとパスタしか入ってない。

 

www.nisshin-foods.com

 

 

リングフィットアドベンチャーは「ゲーム」なのか?【リングフィットアドベンチャー:レビュー】

コロナになって一年、家に篭ることが多くなったが故に

それでも始められる趣味が欲しいと思っていくつかの物にチャレンジした。

今日から連続したブログで、 新しく始めた「趣味」について語っていきたい。

 

1.リングフィットアドベンチャー

www.nintendo.co.jp

昨年の5月に開始し、1年間続いてる。

今更説明するまでもないだろうが、運動しながらゲームが進んで、

やれば健康になっていいよね、というブツだ。

 

昨年の俺は、このリングフィットをゲームじゃないと思ってプレイしてた。

 

 

今の俺はこれに対して真っ向から反駁し、「リングフィットはゲームだ」と考えている。

 

そもそも「ゲーム」とはなんなのか。そしてリングフィットは何がダメなのかという昨年の自分のポジションを明確にしたのちに、

最終的にリングフィットは「ゲームだ」という今時点での結論に至るまでの

思考の過程を書いておきたい。

 

リングフィットを行う「目的」

 俺がリングフィットを気に食わなかった理由、

それは最適化を追い求めるゲームプレイヤー心理と、運動して体に良いことをしなければならないというこのゲームをやるためのモチベーションが矛盾しているからだ。

 

 

クリアに最適化するならば、腰をふるだけのバンザイコシフリや、腕をぶらぶらするだけのスワイショウというような運動負荷が低い技を連発すればいいのだが、それだけでリングフィットの運動をこなしてる人間は稀だろう。

多かれ少なかれプレイヤーはスクワットやプランクのような「運動した気分になる」技を組み合わせて打つはずだ。

 

任天堂も馬鹿ではないので運動負荷が高いような技は威力が高くなっている傾向にあるが、このゲームのスキルツリーがバランス崩壊しており、適当にやってても「運動負荷の高い単体攻撃であるプランク1」よりも圧倒的に打点の高い「全体攻撃で楽なスワイショウ2」が早めに手に入り、その時点で全てが崩壊する。

健康になるため、プレイヤーに最適解でないスキルを選ばされるというのがゲームバランスとしてあまりにも出来が悪く、ゲームの体をなしてないと考えた。

 

極端な話、リングコンのセンサーを騙して運動した「フリ」をしてゲームを進めていくのがゲームプレイヤーとしては最適解になるのだが、それをやっている人間はほぼいないだろう。

 

RTAのany%的なルールでセンサを騙すのも自由、というルールがあるが、こうなることでようやく「ゲーム的」だと胸を張って言えると当時の俺は考えた。

 

その一方でRTAプレイヤーの中でもセンサを騙すということに対して疑念があるのも面白い。

自分の身体の動きを動画で撮ることで「真っ当なプレイである」ことを証明しなければならないというレギュレーションが存在するのだ。

 

プレイヤー間の共通認知として、「ゲーム内の最適行動」ではなく「ゲーム外での目的(=健康)も含めた最適行動」をしなければならないという認識があるのだろうか。

 

ゲームに閉じた「最適化」だけがゲームなのか?

 

昨年の俺はここで論を止め、リングフィットはゲームではないと結論づけた上でリングフィットの継続的なプレイを進めていた(健康になりたかったので、ゲームとして終わってることを許容した)が、改めて考えると、自分のゲームに対する考えがかなりラディカルではないだろうか。

 

「現世利益と一切関係なくただ純粋にゲームを楽しむ行為」というものをゲームだと捉えていたのだが、それだけがゲームではないのは火を見るより明らかだろう。

 

他人と交流するためにやる緩いボードゲームを例に出してもいいし、「ゲーム外の金」を目指して最適行動をするパチンコを例にしてもいいだろう。

 

とはいえなるべくならばゲーム的な最適解とゲーム外で求める最適解が一致してて欲しいという思いは確かにある。

ゲーム外での名声や賞金というものを目指して対戦ゲームをやることはあるだろうが、そのために必要なのは概ねゲーム内での最適化だ。この関係性は美しい。

 

数字が増える喜び

 

リングフィットは確かにゲームとして美しくない。プレイヤーにある種の縛りプレイを強要することでようやくこのゲームが目指している「健康」というゴールに到達することができる。

だが、リングフィットは全てを削ぎ落としたその根幹は「ゲーム」そのものだと感じた。それは数字の蓄積だ。

 

このゲームはこれまでやった運動の記録を全て集計し、自分が今どれだけ運動したかを提示する。 プレイによる継続的な数字の上昇はあまりにもゲームそのものだろう。

RPGにおけるレベル、対戦ゲームにおけるレート、シューテイングにおけるキル/デス

全てのゲームは何かしらの数字を継続的に蓄積し、それが徐々に上がることに幸福を感じる。

クッキークリッカーがゲームそのものだ、という古臭い論考を引っ張り出すまでもなく

数字が増える事は気持ちがいい。

 

筋トレの回数を単純に自動集計し、後から眺めることができる、というその原始的な数字上昇こそがリングフィットがどこまで行ってもゲームである証左ではないか、というのが2021年時点での私の考えだ。

 

数字が増える、というのが「自分の運動が遅行的にだが確実に反映される」という筋トレの性質と極めて相性が良いのも特筆すべきことだろう。

筋トレはあるラインまではやれば確実に効果が出るものの、

①効果が出るまでに必要な運動量が分かりにくい

②効果が現れるのが数ヶ月後

という意味でプレイからのフィードバックを得難い。

 

ここを補うのがリングフィットの数字蓄積となっているのが構造的に美しい。

スクワットの効果が見えなくても、確かにリングフィット上でのスクワット回数の蓄積は増え、そして「ゲーム」としてのステージが先に進んでいく。ゲームを進めていく間に本当の筋トレの効果、が見えてくるのだ。

 

ゴールが明示的でないという「筋トレ」のゲームとしての不具合を補うための補助輪として明らかにリングフィットは機能している。

これは「中間ゴール」をプレイヤーに提示することでゲームの継続的なプレイを誘引する、というゲームの御作法があるが故の利点だろう。

あまりにもゲームだ。リングフィットがゲームであることにもはや異論はないだろう。

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スクワットを5000回やってきた、(ワイドスクワット含めたら7000回)というのは確かな自信でもあり、この数字の積み重ねが面白さだと言われたら反論する術を持ち得ない



まとめ

リングフィットのゲーム性はお粗末だが、数字が増える楽しみはあまりにもゲーム。

筋トレというゲームの中間ゴールのなさという欠点を、ゲーム性のオブラートで包むことで解決した、という意味だと完璧な作品だ。

 

次回作があるとしたら、もう少しスキルのレベルバランスを重視して欲しいが、それを求めてるのは気持ち悪いオタクだけなので無視する、という任天堂の明確な意思があるならばそれはそれで一貫性があっていい。

 

 

 

 

 

 

俺は100ワニのことが好きだったのかもしれない【映画:100日間生きたワニ】

「100日間生きたワニ」の映画を見てきた。

そもそも原作である「100日後に死ぬワニ」自体が

最終日のグッズ展開云々や映画公開後におもちゃにされてる云々など、

作品外でのケチの付け方が嫌な感じになってしまった。

我々読者に「死」という明確なゴールを突きつけながら、ワニたちの平坦な日常が続いていくストーリー展開は素晴らしいものだったと思う。

 

100wani-movie.com

今回映画化されるということで、あまりの盤外でのケチのつき方に逆張り精神が刺激され、この目で見たいと思い足を運んだ。

 

結果100ワニの映画化として優れた、いい映画だったと思う。

 

ワニの喪失、そこから残された仲間たちの物語 

100ワニの映画は、原作をなぞって展開される「前半」とワニの死後を描く「後半」の二つのパートに分かれる。

 

前半は原作を再構成したパートで、「ワニの死」の前座としてワニと仲間たちとの交流が描かれる。

 

後半はオリジナルのパートで、ワニの死の後の残された仲間たちの姿とそこから歩き出す、というのを割と丁寧な描写で描いている。

 

ワニが死ぬお花見のパートを起点として、そこから100日前から物語を開始し、

お花見の日まで戻った後、その100日後を描く、という構成がよかったと思う。

 

「原作を知ってる」人しかいないという中でワニの死因含めたオチが全て割れている以上、ワニの死を映画のゴールに持ってくることが許されず、映画としての着地点は実質ワニの死からの立ち直りというプロット以外に存在し得ないだろう。

 

となるとこの映画の評価は「ワニの死からの立ち直り」をいかに描けるかというそのってんで別れると思うが、この点に関して「100ワニ」はうまくまとめ上げていると思う。

 

「カエル」というオリジナルキャラの存在について好悪が分かれる部分は想像に難くないが、とはいえ必要なキャラであったことは間違いない。これについても最後に語る。

 

ワニの「死」に対する描写をすべて回避したことによる「空白」の面白さ 

100ワニではワニが死ぬ。最後の花見でひよこを助けてワニが死んだということに対して異論を挟む人間はいないだろう。

映画100ワニにおいて、明示的に「ワニが死んだ」という事を発するキャラは一人もいない。それどころか、ワニの死に対して言及する、という展開が一つもない。

「ワニが死んだ」ことに対する悲しみの描写や、その他通り一遍のよくある描写をすべて排したことで、後半においてもワニが生きていた前半のような淡々とすぎる日常がそのまま続いて描かれているというのが、100ワニの後日譚としての語り方として完璧だった。

 

もちろん誰もワニを忘れているということはなく、お花見以降動かないラインであったり、先輩ワニが緒に行くことを約束してた映画の続編を見に行く中で空白の座席で思い出す、であったり、ネズミがあの日以降バイクに乗ってないという描写であったり、極めて細かく抑制が効きつつもそれでいて現実的な「ワニの喪失」の描き方をしていて

4コマ漫画である原作に通底していたあの淡々としたなんでもない日常をただひたすらに尊重して後半のシーンを描き切るという手法が素晴らしい。

 

物語全体を 「100日前」 「お花見 100日後としたことで、

ワニの死の直後にあったであろう彼らの動揺であったり「葬式」のような生々しい描写を回避したのも意図的だろう。

彼らの中でもちろんあの日を思い出さないことはないだろうが、それでいて「日常」を取り戻しつつあるという100日後という時期にスポットを当てて後日譚にするという発想は、作品に規定されたされたプロットを描こうとする中の自由度の使い方として極めて優れている。

 

カエル、というオリジナルキャラについて

ワニを喪失した彼らの関係性の中に割って入ってくるのがカエルというオリジナルキャラだが、これに賛否が分かれるのは解る。端的に言えば距離感を間違えた鬱陶しいキャだ。

ワニの死というところを消化し切れてない彼らに対してさも友人であるかのように接してくカエルを、カフェのヘビを含めた残され動物たちが「社会人として最低限守るべき線」を引いた上で疎ましくそして粗雑に扱う描写がかなり生々しく、ここが好みの別れるポイントだろう。

 

とはいえ、カエルは必要なキャラだ。残された動物たちの仲をとりもち、元どおりとはいかないものの次なる日常を歩み始めるキッカケとして必要なイベント、それがカエルだろう。

 

 

とはいえ、カエル君自身が描かれはしないものの大切な人を亡くしていて、

それをきっかけにネズミと和解し、かつてネズミが失恋した(と思い込んでいた)ワニを連れて行った山頂に一緒に向かうシーンが個人的には気になった。

物語的に必要なシーンであることは理解するものの、ストーリー展開的にともすれば「ワニの代用品」みたいに見えてしまうカエルに対するフォローがもう少し必要だったのかなぁという気もする。カエルも悩みを抱えていたんだなぁ、というのはここまでの丁寧な描写と比較して雑に感じたの否めない。

尺がもう少しあればここらへんを丁寧に描けたのかもしれないが、無駄に生々しい描写を長くされるのもきついのでこれは好みの問題で終わらせてもいい気がする。

 

 

100ワニの後日譚として不満もなくいい作品だった

100ワニという化け物コンテンツのその後を描く、という映画化の中で

あるべきストーリー展開を行い、その上で原作の要素をうまく拾いつつその世界を拡張、最後残された動物たちのの歩き出しを描いて終わり、という極めてまともな作品だった。

 

あといきものがかりのエンディングテーマもいい曲だった。

 

俺は100ワニのことが好きだったのかもしれない

今回、映画を見た後、このブログを描く前に改めて100ワニを読み返したが、面白かったということを思い出した。「死ぬ」ということに全く無自覚なワニとその死を知っている読者の中での緊張感は、あのTwitterで日々リアルタイムで更新されるワニを見る中でしか感じられなかっただろうし、100ワニの作品の独自性だろう。

 

正直、批判されすぎてる曰く付きの映画、という前情報全くなしにこの映画を見たかと言われたら私自身嘘になるし、完結直後の商業展開が好きかと言われたらかなり嫌いで、直近の裁判の話も馬鹿にして眺めてなかったかと言われたら嘘になる。

 

でも今回改めて100ワニを見て、

そういう盤外のノイズを取っ払って100ワニを楽しんでいた一年以上前のあの頃を思い出した。なんで忘れてしまってたんだろう。

 

コンテンツを全てのコンテキストから独立して評価する、なんてことは不可能だし、世間一般のいう内容に一切流されないというのも無理だろう、とはいえ面白いコンテンツというものに対して誠実に向き合わないとダメだよな、という反省。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 映画大好きポンポさん感想】「劇中劇」になってしまったメタ構造といかにして向き合うか ~「誰のためのアリア」

「映画大好きポンポさん」、の映画を見てきた。

pixivの有名漫画の映画化ということでかなり楽しみにしてたが見てよかった映画だった。

 

 

ポンポさんの原作がめちゃくちゃ好きで、今回の映画も楽しみにしていたが

映画として素晴らしい作品だったと思う。

 

 

映画を描く映画の自己言及性を持つ、原作付き映画という極めてややこしいメタ要素を出来る限り丁寧に汲み取り、原作にない、それでもあってしかるべき自然なメッセージを成立させてる素晴らしい作品だ。

 

www.pixiv.net

(有名過ぎて多くの人が見てると思うが、一応原作も貼っておく

 そもそもこの原作自体の完成度が素晴らしくてどう映画化しても面白い、というのはある)

 

以下ネタバレです

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【ゼノブレイドDE・クリア時感想】王道とひねり方【ネタバレ】

【はじめに】

ゼノブレイドDEをクリアした。

2010年発売のWiiRPGのリマスター版として出た本作だが、

私は当時クリアしてなかったので、全く新鮮な気持ちでプレイできた。

戦闘におけるレベル差ペナルティに若干の文句&ゲームシステムを説明しない序盤の不親切さがマイナスポイントなもののRPGとして必要な、ストーリー、キャラ、舞台設定、最後のエンディング含めて極めていいゲームだと思った。

10年前にこの水準のゲーム(もちろんリマスターで遊びやすくなってるものは色々あるにしても)ができていたらと思うと当時やっていなかったことを後悔している。

番人にお勧めできる良いRPGだと思う、それなりに寄り道してクリア時間65時間、まだ追加コンテンツが残ってるものの、ゲームを評価するにあたって必要な要素は一通り触り切れたと思っている。

 

以下には物語の根幹のネタバレがあるので注意。

 

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2019年にプレイした据え置きゲームの感想

2019年も終わりということで今年やったゲームについて。

あんまりゲームできなかった気がする。

 (ポケモンを据え置きゲーだと脳みそが認識してなかったので、追記します)

 

 

1.バイオハザードre2 (お勧め度★★★☆☆)

あのバイオ2のリメイク。めっちゃ良くできているゲーム。お勧めできる

ただし、ホラーゲーではなくアクションゲームとして。

リソース管理してゾンビ倒して先に進んでいくというバイオの楽しみは有るけど

意味不明に閉じ込められた洋館からの脱出を描くバイオ7とは趣が異なるゲームだった。

いや、リメイク作品だし原作的にもビハインドビューを採用するこの選択はよかったと思うものの、バイオ7のあの突き抜けた恐怖を求めて買うとちょっと違う。

 

2.God of war(お勧め度★★★★☆)

去年のGoTY(game of the year)。やってなかったので今更。

シリーズものだが、表題から数字が消えてることからも見て取れるように心機一転、このゲームから始めてもわかるようになってる。

亡くなった妻の遺言を果たすため、神殺しの男クレイトスとその一人息子アトレウスが旅に出るというところから始まるこのゲームは、確かに面白い。

北方神話を下敷きにしたストーリー、最強を呼ぶのがふさわしいクレイトスの戦い方

などなど、普通にサクサク遊べて楽しいゲーム。

このゲームの特異性は徹頭徹尾「父と子」という関係性を描こうとしているところにある。数多くの人や神を殺した過去、自らも神であるという素性を息子に隠したいクレイトスと父のような戦士になりたい、幼さゆえの無配慮、純真さが危ういアトレウスの関係性をずっと描き続けるゲームだ。

このタイプのゲームを「アクションゲーム」でやろうとしているのはすごいと思う。

 

でも去年のGoTYはRDR2にとって欲しかった・・・・。

 

3.SEKIRO(お勧め度★★★★★★★★★★★★☆)

文句なしのGoTY、2019年という新時代を代表するアクションゲーム。

フロムが、ソウルシリーズで築き上げた自らの死にゲーのポジションを自分自身で超ええた、脱帽、天才としか言えない。

高難易度ゲームにありがちなヒットアンドアウェイで隙を見て殴り、徹底的にリスクを負わないボス戦の方法、これに対するアンチテーゼとしての体幹システム、これこそがSEKIROのすべてだ。オンラインも無ければステ振りもない、体幹削って敵を倒す、これ以外の要素を削ぎ落としたストイックさこそがSEKIROの魅力と言えるだろう。

 

SEKIROのボス戦は敵の「体幹」を削る戦いになる。敵と刃を交えることで体幹の削りを蓄積し、ゲージを削り切ったら一撃必殺の忍殺に派生、敵のゲージを削りきる。この繰り返しだ。

体幹は放置すると回復されるため、プレイヤーは必然的に勝つためにリスクを負って敵の懐に入り込み、切り結ぶことになる。

パリィを簡略化させた弾き(失敗してもガードに派生するリスクのない仕組みが上手い)で敵の攻撃をガードすることでも体幹を削ることができるため、ガードと攻撃を駆使してなるべく敵と刃を重ねることが勝利への道筋になるのだ。

もちろんガード不可攻撃もあるものの、予備動作に対して「ガード不可」のアラートが出るため、大きな理不尽さがない中で攻撃防御回避のじゃんけんを繰り返すことができる。

強敵との剣戟ででるアドレナリンがあまりにも楽しい。

 

細かい不満点(竜咳が死にシステム、忍具にカス混じってる、怨嗟の鬼がゴミ)刃あるものの、やはりこのゲームこそ2019年を代表するゲーム。

 

 

4.FE 風花雪月(お勧め度★★★★★)

あのリンカーンVSエイリアンで有名なインテリジェントシステムのシリーズ作品FEの新作。初FEだったがめっちゃ面白かった。何が面白いっていうより、ゲーム全体の質が極めて高い。

学園パートと戦闘パートの繰り返し、学園編からの戦争編でかつての同級生と殺しあう仕組み、3つの学級、本当によくできたゲーム。

ドラゴンに乗るのが強くてみんなドラゴンに乗ってた。

 

5.ゼルダの伝説 夢を見る島(お勧め度★★☆☆☆)

夢島のリメイク作品。いや、面白い、面白いんだけど今更夢島やる必要あるかと言われたら別に…。

ブレスオブザワイルドとはもちろん比較すべきじゃないんだけど、もう今後のすべてのゼルダは否応無しにブレスオブザワイルドと比較されるからかわいそう。

 

 

 

5.イース8(お勧め度★★★★★)

 

初めてのイース、面白い。

http://imterlaw.hatenablog.com/entry/2019/04/29/221333

 

ダーナというキャラにどこまで共感できるか。ダーナに始まりダーナに終わるゲーム。

バッドエンドのルートが一番後味よくない?

 

BGMめっちゃいい。AtoZとかHOPE ALIVEとかEVERLASTING TRANSEUNTとか。

タイトルBGM、メインテーマが良いからエンディングも良いし、スタッフロール明けのタイトル画面もいい。

 

6.イース9(お勧め度★★★★☆)

8が面白かったから9も買った。面白い。

遊びやすさもあがってるし、映像も綺麗だし(8はvitaのゲーム)良いんだけど

ストーリーの規模とか、エンディングとか含めると8の方が面白いんじゃないかと思う。

ダーナいないし。

 

BGMよかったけど、メインテーマが8が強すぎて印象薄くなっちゃう。惜しい。

 

7.モンスターハンターアイスボーン(お勧め度★★★☆☆)

ワールドのDLC。面白いんだけど、細かいところワールドより劣化してない?

隙を消す方向に理不尽に進化したモンスター、特にジンオウガがひどい。

アプデでましになったけど、初期の導きの地も激ヤバだった。

面白いけど。

 

8.DEATH STRANDING (お勧め度★★★★★★★★★★★★☆)

ポストアポカリプスの世界で、荷物運びながらアメリカをつなぎ直すゲーム。

何言ってるのかわからないと思うが、デスストは荷物を運ぶゲームだ。

広大な世界で荷物を待ってる人に届けに行く、これだけなのに面白い。ウーバーイーツ体験ゲームとでも言えば良いか。

 

「人とのつながり」をメインテーマとして描き続けようとするシナリオプロットと荷物によって人とつながるというゲームシステムが完全にマッチしているのがこのゲームの面白さを生んでいる。

 

このゲームの面白さはゲーム内の繋がりだけではなく、ゲームを通じた他のプレイヤーとのつながりを感じるところにある。

誰か他のプレイヤーが作った休憩スポットや道、看板などが自分のゲームにも反映され、それに「いいね」を押すことができる、ただこれだけなのに面白い。

自分が作った発電機が他の誰かの役に立っているという面白さ、自分が立てようとしている道に誰かが資材を入れてくれることのありがたさ、言うなればソウルシリーズの血痕とかメッセージなのだが、それをゲームメカニクスに組み込んだ小島監督は本当にすごい。

 

自分はただゲームの中で荷物を運んでいるだけなのに、その営みが他の誰かのプレイヤーの助けとなり、他の誰かにまた助けられるという営み。

オンライン協力プレイではない適度な距離感で描かれる「確かな他の人からの助力」が、ポストアポカリプスで滅んだ荒涼な世界のなかで確かな暖かさとなる、そんな不思議なゲーム。

 

 

2019年のゲームは小粒なものが多かった気もするが、日本のゲームがめっちゃ面白い年だったと思う。2020年にも期待したい。ghost of tsushima早くやりたい。

そろそろcyberpunkも出るだろうし、なんならPS5も出る。楽しみだ。

 

 

 (追記)

8.ポケットモンスター ソードシールド (お勧め度★★★☆☆)

 年を重ねるごとに周りのゲームが進化していき、気づけば完全に古臭いゲームになってしまったポケモン。手軽にやるならソシャゲでいいし、据え置きにしてはあまりにもチープ。誰を狙ってるのか教えてほしい。

 

ジム戦にスポットライトを当てるという方針と、それに噛み合うダイマックスのシステムはよかった、これに関してはすごい。両手をあげて褒められる。よかった。

シームレスな戦闘への導入とか、BWを彷彿とさせるラス1BGMとか、盛り上がり最高。

あと対戦も面白い。シングルレートしかやってないものの、ダイマックスの切り方面白いし、ガブランドが消えたおかげでサブウエポンの冷Bが消えたりとか、新鮮さが良い。まだまだ学ぶことは多いし、レートは細々とやっていきたい。

 

他はよくない。

ピカブイの頃から思ってたが、ポケモンはとにかくUIが劣悪、UIをかなぐり捨ててゲームの質に特化したRDR2みたいなことをするならまだしも、凡ゲーの中にできの悪いUIがあるのは普通にプレイしててつらい。

擁護するとこれでもピカブイの頃より進化している。

実はピカブイにも今回の飴みたいなシステムがあるのだが、ピカブイ時代はこれを複数個まとめて与えることができず、ぽちぽちを繰り返して投与していたのだ。そこから考えるとまとめて投与できるというのは本当にすごい進歩、誇っても良い。平安時代くらいのゲームだと思えば遊べる。

 

対戦経験のないプランナーが考えた相手のポケモンが見えない対戦のUI、走りにくい自転車、ミニマップ一つ用意できないワイルドエリア、なぜか任意入れ替えができなくなった道具欄、卵産むごとになぜか入るカットイン、ゲーム体験として普通に質が悪いところがあまりにも多いけど、ポケモンだし許しちゃう。

過去作より孵化から育成までの手間が増えてるのに、バグを利用してスキップできるから対戦しやすくなってると擁護しようと思ったものの、バグ使わないと楽しめないゲームって何?

 

 

このゲームを据え置きゲーだと脳みそが認識できなかった。完全にソシャゲの感覚で遊んでました、ごめんなさい。

でもレートは面白いし、ポケモン対戦が好きな人は楽しめるゲームだと思う。